cinema note*

観た映画のことをつらつらと。グザヴィエ・ドラン、フランソワ・オゾン、ペドロ・アルモドバルなどクィア映画に傾倒しています。

マイク・ミルズ『20センチュリーウーマン』-最強の1970'sムービー

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純白のフォード・ギャラクシーが炎上している。
そんなファースト・ショットから始まる「1979年」を描いた物語、それがマイク・ミルズの新作『20センチュリーウーマン』である。

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『人生はビギナーズ』はミルズの父がゲイをカミングアウトしたことがきっかけで作られた映画だったが、今作は実の母親をモデルにした母と息子が描かれている。ミルズの分身である15歳の少年ジェイミーを一人で育てることに不安を感じたシングルマザーのドロシアが、二人の女性に親役を頼むところから物語は始まる。ミルズのパーソナルな部分と私物とアメリカンカルチャーがふんだんにコラージュされて出来上がった本作はまさに映画の形式を借りたコンセンプチュアル・アートである。

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名優ハンフリー・ホガードに憧れるドロシアは、町山広美に言わせると「ヒーローに愛されたいんじゃなく、ヒーローになりたい女性」らしい。
そう、ウーマン・リヴの時代はまさにそういう時代で、女性たちが男性と同等の権利を得るためには男性になるしかなかった。

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かつてウーマン・リヴを主題にしてアンディ・ウォーホールは『ウーマン・イン・リヴォルト』(1971)を世に送り出した。
三人のトランスジェンダー女性を主役に迎えた本作は、まさにミルズが時代設定とした1970年代の空気の最中で撮られた。
しかしそれはあまりにも男性に対するルサンチマンに支配されていて、女たちは怒号や悲嘆の末に草臥れて見えた。

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一方、本作に登場する三人の女性たちはあくまで快活。
浮遊するように複数の男性たちの間で情事を繰り返す退廃的な少女ジュリー。
フェミニストで先進的なアーティストであるアビー。
当時まだ珍しかったシングルマザーのドロシア。
三人はそれぞれの時代性をそのまま体現する存在である。


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執拗に繰り返される部屋の外からドア越しに中の人物を撮るショットはミルズらしさを示すショットの一つである。
外から中へ、というこのカメラの起源はミルズのトーキング・ヘッズへの嗜好にある。
本作で「ART FAG」と中傷されるトーキング・ヘッズは、ミルズによると「宇宙人が地球を俯瞰して観ている」目線を持つという。
彼のそんな目線に影響を受けたミルズは、ある別の地点から「世界はこう見えていた」という目線を『人生はビギナーズ』から引き続いて、本作においても踏襲している。
つまりそれはここでは、大人になったジェイミーの記憶の中の母に対する目線、私たち21世紀の女性たちの20世紀の女性たちに対する目線、そして全ての人が幸せだったなぁと想い出すであろういつかの「あの頃」に対する目線である。
この目線の手法があるからこそ、私たちはある種のノスタルジックさに陶酔し、そして締め付けられるような切なさに襲われる。



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P.S 同じく母と息子の愛の物語をミルズとは全く異なるタッチで描いたドランの『Mommy』を想い出さずにはいられない。
少年たちはスケートボードに乗っているかのごとく、息もつかぬ速さで疾走して大人になっていく。