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cinema note*

観た映画のことをつらつらと。グザヴィエ・ドラン、フランソワ・オゾン、ペドロ・アルモドバルなどクィア映画に傾倒しています。

石井裕也『夜空はいつでも最高密度の青空だ』-「死」は青い光を纏う

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『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年、日本)
監督:石井裕也
キャスト:池松壮亮石橋静河松田龍平

何故これほどまでに映画の歴史は「青」、その色に魅せられてきたのだろうか。

『ムーンライト』で黒人の肌を美しく輝かせる色が青じゃなかったら。
『ブルーベルベッド』でドロシーの瞼に塗られた艶めかしいシャドウの色が青じゃなかったら。
アデル、ブルーは熱い色』でアデルが惹かれるエマの髪の色が青じゃなかったら。
『BLUE』でスクリーンを貫き続ける色が青じゃなかったら。

もし「青」がなかったとしたら、その色は何色だったのだろう。

本作では、月夜を見上げるその瞬間に二人を照らす色として青が象徴的に使われている。
その色はどこか死臭を感じさせるのだが、ある線虫は死の過程で本当に青い光を発するらしい。

最果タヒの詩にも死ぬという言葉がフランクと言っていいまでに登場し、私たちは映画でも二度死を目撃することとなる。

幼い頃に母親を自殺で失くし、看護師として死がいつも傍につきまとう場所にいる美香にとっては、「きみが泣いているか、絶望か、そんなことは関係がない、きみがどこかにいる、心臓をならしている、それだけでみんな、元気そうだと安心する」。ただきみが生きている、それだけでいい人間。

対して慎二は毎日明細書とにらめっこして生きていくための数字と格闘している。生きている、それだけではダメで、お金を稼がなくてはならない。日払いの工事現場に、生きている、それだけでいい、なんて口笛を吹いている者なぞいない。そんな「生」の泥臭さで充満している場所に生きている。

そもそも左目が見えない慎二と両目が見えている美香では見ている世界そのものが違う。
全く異なる二人が出逢うというのはこれまでのボーイミーツガールものでも定石であった。
「ねぇ、恋愛すると人間が凡庸になるって本当かな」
「そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない」
恋や好きという感情に訝しい二人は、幾度とも重なる偶然を運命だと楽観的に捉えることはない。
高揚する感情に手放しで喜んだりもしない。ただゆっくりと、無意味で冗長なお喋りを重ねていくように蛇行しながら離れたり近づいたりを繰り返していく。


本作からは「恥ずかしさ」或いは「あざとさ」を感じる。
これがある若き監督のデビュー作であれば拙さをその理由にしてしまえるのだが、これは『舟を編む』('13)、『ぼくたちの家族』('13)、『バンクーバーの朝日』('14)を経て着実に映画監督として成熟してきた石井裕也監督の撮った作品である。
そう思えば、だからこそ、どこか染まってしまった、どこかスレてしまった、どこか変わってしまった、そんな自分に対するリベンジを果たそうとしているとも見れた。

軽妙に挿入されたアニメーション。
無防備に黒く潰された画面の左側。
空から舞い落ちてくるCGの花びら。
そして繰り返されるストップ・モーション…

与えられたおもちゃで遊ぶかのごとく無邪気に画を紡いでいくその手法と、パンフレットにある「多くの人はあの頃の青臭さを捏造する」という言葉がまさに反響しあっている。
石井監督は、不安や戸惑いの中で一縷の希望が顔を覗かせる、あの、東京に来たばかりの幼き自分をスクリーンの中で再現しようと試みている。

「悪い予感だらけの今日と明日が、少しだけ、光って見えた」あの頃の自分を。