cinema note*

観た映画のことをつらつらと。グザヴィエ・ドラン、フランソワ・オゾン、ペドロ・アルモドバルなどクィア映画に傾倒しています。

オリヴィエ・アサイヤス『パーソナル・ショッパー』-”uncanny”

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『パーソナルショッパー』(2016年、フランス)
オリヴィエ・アサイヤス監督

クリステン・スチュワート演じるモウリーンは絵を描く傍ら、パーソナルショッパーと呼ばれるセレブなど多忙で自分では買い物に行く時間がない人の買い物代行業をしている。遠距離の恋人がいるにも関わらず彼女がパリを離れようとしないのは、三ヶ月前に亡くなった双子の弟ルイスから「サイン」を待ち続けているからである。「サイン」らしきものを度々感じはするものの、それが本当にルイスからなのかわからない。そんな中彼女は正体不明の人物からテキストメッセージを受け取る。

ここで重要なのは、”見えない何かの気配”と”代行者ではなく何者かになりたいという欲望”が並列して描かれるところである。

「症候とは抑圧によって阻止されたものの代替物である」(フロイト精神分析入門』)

フロイトの理論に当てはめるならば、霊体験=症候、買い物代行業=抑圧、「別人になりたい」という潜在的欲求=阻止されたもの、ととりあえずは考えられる。

つまり、彼女は霊体験に苦しんでいるのではなく、何らかの理由によって、霊がいるという妄想に取り憑かれているという見方である。

この映画では、同じことが二度繰り返される。
たとえば短いスパンの中で二度コップが割れる。
彼女は一度目は友人が落としたのだと何の気なしに片すにも関わらず、二度目はルイスの仕業だと言うのである。コップが割れる。その一つの事象をとっても彼女が自在に解釈を操っていると捉えることがこれによって可能になる。しかも、コップは彼女が一人きりの二度目の時にしか浮かない。

私たちは登場人物が「見ているもの」を「存在するもの」と思い込むが、実はそれは最初から存在しないのかもしれない。

彼女の「別人になりたい」という欲求の根本は、双子の弟にあるのではないだろうか。
弟は優秀で、自分は売れない絵描き。パーソナルショッパーの仕事の中でクライアントに抱く「自分ももっと恵まれた人間になりたい」という根源的欲求は、比べ続けていた人生を通じて弟に抱いていたコンプレックスと親和性を持つ。
彼女は「弟からのサインをもらえたら、忘れて、新しい人生を送れる」と言う。
弟の「サイン」を受け取りさえすれば、自分は過去と決別しもっと別の自分になれるというシナリオを完遂させるべく、何度も「弟の霊」を強迫的に反復させる。

その儀式によってのみ、彼女は解放されるのだから。


タイトルは「パーソナルショッパー」。
霊媒師」ではなく、あくまでも「買い物代行人」。

これは強迫症に冒されたパーソナルショッパーのモーリスがみる悪夢の噺なのかもしれない。








ちなみにクリステン・スチュワートはアサイヤスの前作『アクトレス』でも、付添人の役で出演。