cinema note*

観た映画のことをつらつらと。グザヴィエ・ドラン、フランソワ・オゾン、ペドロ・アルモドバルなどクィア映画に傾倒しています。

行定勲『リバーズ・エッジ』-生きる糧としての死体

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realsound.jp

私の青春時代の教祖的存在といえば、漫画家なら矢沢あい、小説家なら桜井亜美だった。だからどちらかというとキラキラした世界に傾倒していた私にとって、岡崎京子はクラスの中の不良のような異彩を放っていた。当時は近寄りがたかった岡崎京子の漫画を今読むと、なんだか私も大人になったんだなと思うし、私と同じように岡崎京子の作品を再読して、大人であることを改めて自覚した人はたくさんいるんだろうと想像する。


ところでここ最近は生活がなかなか苦しい。

どう苦しいかというと、このままの生活を続けていれば肉体的に死ぬし、この生活をやめれば経済的に死ぬし、どちらにせよ精神的に死ぬんだろうなと思う苦しさで、でもそんな時私はリバーズエッジを開いて、そして死体を見て、山田くんとそれからこずえと笑ってやろうと思う。ザマアミロって、どうせみんなゆくゆくは骨だ!って。


そういえば、ちょうど岡崎京子についての文章を読んでいた場所が、新宿のど真ん中にあるカフェで、若い女の子たちの甲高い話し声がBGMだった。その時、24年という月日を経て再び岡崎京子がこの映画化を通して少年少女たちを夢中にさせるかもしれないことに、私は心底ワクワクしたんだった。

『デヴィッド・リンチ:アートライフ』−揺蕩う煙は神秘のヴェールでありつづける

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何がリンチただ一人の語りを可能にしたのか? 『デヴィッド・リンチ:アートライフ』を読み解く|Real Sound|リアルサウンド 映画部

1/27に公開された『デヴィッド・リンチ:アートライフ』の映画評をリアルサウンドに掲載しました。

私のリンチとの出逢いは大学時代でした。教授がゼミでリンチの『マルホランドドライブ』と『ロストハイウェイ』を流しはじめた時、まだ映画もそこまで深く学んでいなかったこともあって、世界のどこにも存在しないようなノワール的なイメージに呆気にとられたことを今でも鮮明に記憶しています。

最初はこの映画のどこがいいのだろう?と頭を悩ませましたが、ある日先生が言いました。

「寝ている時に見ている夢が現実なのか、起きている時の現実が夢を見ているだけなのか、わからない」と。その言葉を聞いたときに、何故教授がリンチに強く惹かれるのか、その理由を少し垣間見たような気がしました。だからリンチの映画を観るときはいつもその教授のことを思い出すのです。誰かと映画が結びついて存在してくれること。それがとても嬉しい。

Representations on Trans Cinema

この文章は全然映画評とは関係のない私的なものなので悪しからず…その上ちょっと長いです。


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先日、トランスジェンダー映画を主題とした論文を、属する大学院に提出しました。
実はトランスジェンダー映画に特化した研究というのは、日本ではあまり行われていません。
というのも、トランスジェンダー映画、これは特に欧米では「トランスシネマ」と呼ばれるのですが、トランスシネマ自体がメインストリーム上ではまだそんなに製作されていないから、そしてゲイ・レズビアン映画に比べ未だ周縁的だからと言えるからかもしれません。
論文内には私的体験を書くことはできなかったのですが、今回このテーマを選んだのはグザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』がきっかけです。


それは私が中学生のとき、国語の授業の時間に先生がいつものようにプリントを集め始めたときのことでした。
その時いつもと違ったのは、プリントを入れる箱に「ズボンを履いた人の赤い色のピクトグラフ」と「スカートを履いた人の青い色のピクトグラフ」が書かれていたことです。それを見た生徒たちは当然困惑し、結果としてその箱にはプリントがバラバラに入れられました。
男女のバラバラになったプリントの入った箱を見た私は、男女の区分けというものがいかに人間が勝手に決めたものかを知り、本来はきっとこの「ぐちゃぐちゃになった箱」こそが正しいのだと思いました。

その時の経験を次に思い出したのは大学生のときでした。
ある映画会社で働かせてもらっていた時に、上司と某テレビ局の人に会いに行く約束がありました。
事前に名刺を確認させてもらっていたので、男の人なんだな、くらいに思っていました。
ところがそこに現れたのは、綺麗な長い髪で、ピンクのネイルをした人。
最初こそ意表を突かれたものの、とても快活な人であっという間に時間が過ぎていました。
でも、その帰り道に上司がこう言いました。
あの人は本当は報道に行きたいらしんだけど、あのみてくれじゃ無理なんだよ、と。
何故、自己表現の在り方次第で希望とすることができなくなるんだろうと、どこか悔しいような、どうしようもない気持ちに陥りました。
そして、その時の憤りのようなものを抱えたまま時は経ち、『わたしはロランス』に出逢いました。
この作品はそれまでのそういった気持ちを思い起こさせると同時に、必ずこの作品を使って大きなまとまった文章を書きたいと私に強く思わせました。
その時からなんとなく構想を考えて、そしてようやく書き終えました。(それまで蓄積したものをまとめる執筆作業に要したのは一ヶ月間くらいですが)
正直、ロランスから始まった論文にもかかわらず、四作品取り上げた内、最後まで書ききれなかったのもロランスでした。
想い入れの強い対象ほど上手く言葉にできないことを改めて痛感しました。
トランスジェンダーに関する本文の中には、間違いや誤解もたくさんあるかもしれません。
それでも、たとえ稚拙でも、どんな生き方をする人もどんな人も、不当に虐げられることがあってはならないのだと、そして、芸術が、映画が、決してそんなことに加担することがあることのないようにと。
そんなことを願いながら、一字一句大切に書きました。
論文の中で繰り返し繰り返し言ってることが一つあるんですが(寧ろ一つだけしかないような気さえする)、それを一言にしてしまうとどうしようもなく陳腐で説得力がなくなってしまうから、それを伝えるために出来る限りの言葉を尽くしたのだと思います。


P.S 大学のリポジトリでは公開されないかもしれませんので、もし読みたいと思ってくださる方がいれば気軽にDMかメールしてください。

2017年年間ベスト映画TOP10

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今年はリアルサウンド映画部様でベスト10を選出させていただきました。

遅筆すぎて未だに映画評も3本しか書けていないのにも関わらず、宇野維正さん、小野寺系さん、加藤よしきさん、荻野洋一さん(豪華…!!)と共に選んでいただけるなんて、とても光栄でした。

今までずっと自分の文章が人目に触れるのが怖くて仕方なかったんですが、勇気を振り絞って映画評を出したことでお陰様で声をかけていただけることも増えました。
本当にありがとうございました。

2018年は(も?)、とにかく映画を多く観て、言葉に出来るように一作一作と真摯に向き合っていきたいと思います。

http://realsound.jp/movie/2017/12/post-141404.html

白石和彌『彼女がその名を知らない鳥たち』-無数の鳥たちの正体

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この、一筋縄ではいかない最低で最高な愛すべき作品について。
記憶の一部を無くせる道具があったなら、真っ先にこの映画の記憶を消してまた何度でも観たい、と思う程の稀有な映画体験でした。

http://realsound.jp/movie/2017/11/post-123219_2.html

ファティ・アキン『50年後のボクたちは』-行方知らずの救世主

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主人公のマイクは14歳で、14歳はきっと彼にとっての人生の節目の歳である。私の節目の歳として思い出すのは、窒息しそうだった16歳。
マイクと同じく、あの頃世界は学校と家庭の限られた空間のことでしかなく、どちらにも居場所がなかった。
あの時どこか旅に出る勇気があったなら、マイクと同じように自分が抱えている問題は大した問題ではないと笑えただろうか。いずれにしても一人では身動き一つ取れなかった私には、連れ出してくれる救世主が必要だった。心待ちにしていたのに現れてくれなかった、チックのような存在。

何処かで燻っている若き魂にきっと現れてくることを祈って。現れてくれなかったとしても、この映画がその代わりとなってくれることを願って。

http://realsound.jp/movie/2017/09/post-110922.html

エドガー・ライト『ベイビー・ドライバー』-二人には明日がある

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車にも音楽にも無知な女子でも虜になってしまう映画、それがエドガー・ライト監督の最新作『ベイビー・ドライバー』でした。

リアルサウンド映画部様にて映画評を寄稿しています。
http://realsound.jp/movie/2017/08/post-105094.html